1991年、マツダはル・マンで歴史を作った。
787Bが、日本メーカーとして初めて総合優勝をつかんだのだ。
その勝利の裏に、ひとりの伝説がいた。
ベルギーの名ドライバー、ジャッキー・イクス。
ル・マン24時間で6度の勝利を挙げた、“ミスター・ル・マン”である。
この年のイクスは、ハンドルを握る側ではなかった。
彼はマツダのアドバイザーとして、
レースの流れを読み、戦略を整え、
勝つために必要な判断を支える役割を担っていた。
速さそのものではなく、
マシン、タイヤ、燃料、レース展開。
その全部を見渡して、マツダを優勝へ導く“勝てる形”を作っていた。
優勝の翌日、マツダは彼に言う。
「ボーナスをお受け取りください」
だがイクスは、静かに断った。
「私はマツダを優勝させるために契約した。
優勝したからといって、ボーナスをもらう理由はない」
そこにあるのは、
報酬ではなく、責任を果たしたという誇りだった。
そしてこの1991年の勝利は、
ル・マンの主催者ACOからも特別な意味を持って扱われた。
イクスは、ドライバーとしての6勝に加え、
このマツダの優勝を含めて、
“ル・マン7勝者” と見なされることになる。
最後の1勝は、走らずして掴んだ勝利だった。
さらに彼は、ル・マンの歴史そのものにも爪痕を残している。
1969年、危険な“ル・マン式スタート”に抗議し、
他のドライバーが走って車に飛び乗る中、
イクスはただ一人、歩いてマシンへ向かった。
その行動は、命を軽視する慣習への明確な抗議だった。
そしてこの出来事が、翌年以降のスタート方式見直しにつながっていく。

