1位と2位は約束されていた──なのになぜ彼らは潰し合ったのか?ホンダがウィリアムズと決別し、翌年マクラーレンと組んだ本当の理由

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1987年のF1は、ある意味で異常なシーズンだった。

ウィリアムズ・ホンダは他チームを寄せつけないほど圧倒的に速く、表彰台の頂点はほぼ約束されたようなものだった。

それなのに──ホンダは翌年、このチームを去る決断を下す。

なぜ勝てるチームを捨てたのか?

その答えは、2人のドライバーの「異常な憎しみ合い」にあった。


圧倒的に速かったウィリアムズ・ホンダ

1987年シーズン、ウィリアムズ・ホンダは他を圧倒する速さを誇っていた。

ナイジェル・マンセルネルソン・ピケの2台が、レースをリードする展開は、この年何度も繰り返されている。

ホンダにとって、1位と2位を自社エンジン搭載車で並べることは、十分に達成可能な目標だった。

しかし──その「1-2フィニッシュ」が、毎戦のように脅かされていたのだ。

1987年シーズンの状況まとめ

項目内容
チームウィリアムズ・ホンダ
エースドライバーナイジェル・マンセル / ネルソン・ピケ
マシン性能他チームを圧倒する速さ
目標1-2フィニッシュ
問題点ドライバー2人の不仲

チームメイトとして走ることを拒否した2人

マンセルピケは、互いを憎み、互いを潰そうとしていた。

「チームメイト」という言葉が、もはや意味をなさないレベルだった。

彼らの行動は、エスカレートする一方だった。

  • スタートでの幅寄せ
  • チームからの無線指示の無視
  • 独断でのQモード走行(※予選用の高出力モードのこと)

特にQモードを決勝で勝手に使う行為は、エンジンに大きな負荷をかける危険な行為だ。

それでも2人はやめなかった。

相手に勝つためなら、ホンダのエンジンを壊すことすら厭わない──そんな姿勢だった。

2人のドライバーが取った異常な行動

行動意味するもの
スタートでの幅寄せ接触の危険を顧みない攻撃
無線指示の無視チームオーダーの完全拒否
独断でのQモード走行エンジン保護を無視した独走

ホンダ首脳陣が本当に恐れていたもの

ホンダの首脳陣が見ていたのは、2人の「速さ」ではなかった。

彼らの脳裏にあったのは、ただひとつの恐怖だった。

「この2台はいつかコース上で接触する」

1-2フィニッシュが、ドライバー同士の接触で台なしになる可能性。

それがホンダには、何より許しがたかったのだ。

エンジンサプライヤーとして、勝利の象徴である1-2を、自社のドライバー同士の衝突で失うなど──あってはならない事態だった。


決定打となった1987年イギリスGP

そして、ついにその瞬間が訪れる。

1987年イギリスGP──シルバーストンでのレース。

マンセルピケは、またしても接触寸前まで行った。

舞台はストウコーナー

時速190キロで、ほぼホイール・トゥ・ホイールの状態。

一瞬でもステアリングを切り間違えれば、両者リタイアという危険な並走だった。

イギリスGP接触寸前シーンの詳細

項目内容
開催地シルバーストン・サーキット
問題のコーナーストウコーナー
接近時の速度約190km/h
状況ホイール・トゥ・ホイールの並走
結果接触寸前まで接近

ホンダの首脳陣は、その映像を見て決断した。

「このチームでは我々のエンジンを守れない」


まとめ:勝てるチームを捨てた本当の理由

ホンダは、結果としてシーズン終了後にウィリアムズとの関係を終わらせ、翌1988年からマクラーレンと組むことになる。

その背景には、単なるビジネス上の判断ではなく、「自社のエンジンと栄光を、無秩序なチーム内対立から守る」という強い意志があった。

勝てるチームを捨てる──普通なら考えられない決断。

しかしそれを決断させたのは、皮肉にも「勝ちすぎたチーム」が抱えた、2人のチャンピオン候補の毒だったのだ。

この決別がF1史にもたらしたもの

出来事
1987年ウィリアムズ・ホンダで激しい内部対立
1987年末ホンダがウィリアムズとの決別を決断
1988年マクラーレン・ホンダ時代の幕開け
以降アイルトン・セナとの黄金期へ

マクラーレン・ホンダという伝説の始まりは、ウィリアムズでの「守れなかった1-2」への、深い反省から生まれていたのである。