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「やられたらやり返す」の何が悪い?相手に因果応報が下るのを待つの?
学校でのいじめ、職場でのパワハラ、友人からの裏切り行為・・・など嫌な思いをした場合に、
「やられっぱなしでいることはない。やられたんだからやり返してやればいい。何が悪いの?」
と思うものです。
しかし、その一方で、
「やられたことと同じことを相手にやり返したら、自分も相手と同じ人間になってしまう。やり返さなくても、いずれ因果応報で相手に天罰が下るはずで、ここは無視することにしよう。」
と思い直すこともあるのでは。
いずれにしても、こういう時に、すっきりした気持ちになれる人はいないでしょう。モヤモヤが残り、しばらく不快な感情に悩まされ続けるものです。
このページでは、<「やられたらやり返す」の何が悪い?相手に因果応報が下るのを待つの?>のテーマで皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
「やられたらやり返す」が部分的に認められるケース
やられたことをそっくりそのまま相手にやり返すことが認められるケース、やり返すことが正当だと思えるケースは、少ないと思います。やり返すことは、感情的には共感できるけれど、様々な影響を考慮すると、思いとどまるべきケースの方が多いはず。
ですが、全面的にやり返すのではなく、部分的にやり返すのは、時として必要かもしれません。少なくとも、やり返したほうがいいケースも、制限付きですが、あると思います。
たとえば、次のようなケースです。
- 自己防衛のために:相手が自分に対して暴力的な行為や攻撃的な言葉を使ってくる場合、自分自身を守るために反撃することが必要になる場合があります。また、相手が自分に対して法的に違法な行為を行った場合、警察に通報することも自己防衛のために必要になるかもしれません。
- 自己主張のために:相手が自分に対して不当な扱いをした場合、自分自身の権利を守るために反撃することが必要になる場合があります。例えば、職場でパワーハラスメントを受けた場合、上司や人事部に相談することで自己主張を行うことが必要になることもあるはず。
- 相手に教訓を与えるために:相手が自分や他の人に対して嫌なことをしてきた場合、その行為が許容されないことを示すために反撃することが必要になる場合があります。例えば、友人が自分の信用を裏切った場合、その友人に対して厳しい言葉を投げかけることで、同じようなことを二度としないように教訓を与えることができます。
このように、やられたことと全く同じことを相手にやり返すのではなく、今後同じことが起きないようにするために、相手が不当なことをしていることを自覚させる行為は、時に必要ではないでしょうか。
これは単純なリベンジとは異なる理性的・理知的な対応だと思います。
復讐感情に駆られてやり返した結果、自分が窮地にはまるケース
「やられたらやり返す」という考え方ですが、あまりにも感情的になってしまうと、逆に、自分自身がひどい目に遭う可能性があります。
以下は、「やられたらやり返す」と思って行動した結果、自分がひどい目にあってしまった事例です。
- オンラインでのいじめ:AとBがオンライン上で口論になり、AがBに対して罵倒的なコメントを書き込みました。Bが「やられたらやり返す」と思って、同じようなコメントを書き込みましたが、そのコメントが広く拡散され、B自身がネット上でいじめの対象になってしまいました。
- 財産被害:AとBがトラブルになり、AがBに対して金銭的な被害を与えました。Bが「やられたらやり返す」と思って、同じようにAに対して金銭的な被害を与えましたが、それが違法行為となり、B自身が警察の捜査対象になってしまいました。
- パートナー関係での行為:AとBがパートナー関係にあったとします。AがBに対して浮気をしたため、Bが「やられたらやり返す」と思って、同じように浮気をしてしまいましたが、その行為が原因で、AとBのパートナー関係が完全に壊れてしまいました。
以上のように、「やられたらやり返す」という考え方は、場合によっては自分自身に悪影響を及ぼす可能性があるため、慎重な判断が必要です。冷静に判断し、相手に対して適切な対応をとることが大切です。
嫌なことをされた相手との向き合い方
自分に対してひどいことをした相手には、因果応報で必ず悪い結果が待っているのでしょうか?
もしもそうなら安心していられますが、必ずしも因果応報とならない場合、自分としては面白くありません。そんな時、どんな気持ちの持ち方をすればいいのでしょう?
自分に対してひどいことをした相手に必ず因果応報で悪い結果が待っているとは限りません。人生は不確実性に満ちたものであり、悪人が悪い報いを受けることを正確に予測することはできません。
また、因果応報は、時には遅れて訪れることがあるため、そのタイミングも予測できません。
そうした不確実性について考えると、「なんとかして相手に仕返ししたい」と焦るのではなく、自分自身が幸せになるために行動することが大切かもしれません。
たとえ相手が悪い行いをしていたとしても、自分自身が同じような行為をしてしまったら、自分自身が傷つくことになります。
自分自身が幸せになるためには、相手に対する怒りや憎しみを解放し、その出来事から学び、前に進むことが必要です。相手に許しを与えることは、自分自身にとっても精神的な解放をもたらすことができます。
「相手を許す」って簡単にできる?
前の項目で、「相手に許しを与えることは、自分自身にとっても精神的な解放をもたらすことができます。」と書きました。
ですが、これがなかなかできないから私たちは悩むのではないか。
実際、嫌なことをしてきた相手に許しを与えることは、確かに困難なことです。ただ、相手に許しを与えることが、べつに相手のためを思ってではなく、自分自身にとって重要だからと考える場合、また話は違ってくると思います。
「相手に許しを与える」ために、以下のような方法が役立つかもしれません。
- 自分自身の感情を受け止める:まず、自分自身の感情を受け止めることが大切です。自分が傷ついた理由やその感情について、しっかりと自分自身で理解することで、嫌なことをしてきた相手に対しても冷静な判断ができるようになります。
- 相手の視点に立ってみる:相手が嫌なことをしてきた理由を、一度立ち止まって考えてみることも重要です。相手にとっての事情や、その行動がなぜ起こったのかを考えてみることで、自分自身もより冷静な判断ができるようになります。
- 自分自身に問いかける:自分自身が何を望んでいるのかを問いかけることも大切です。相手に対して許しを与えることが自分自身にとっても良いことであるのか、そのメリットやデメリットを考えることで、自分自身がどう行動するかを決めることができます。
- 心の中で「手放す」:相手に許しを与えることがどうしてもできない場合、自分自身の中でその感情を「手放す」ことも大切です。相手に許しを与えられないことで自分自身が傷つくことを避けるために、その感情を「手放す」ことが必要です。
「手放す」とは?
やられたらやり返したいという思いが強い相手を、どうしても許す気持ちになれない場合、その感情を「手放す」ことで前に進んでいく。
この場合の「手放す」とは、自分自身を許し認める、ということを意味します。
理想を言うなら、相手に許しを与えたいところです。それで気持ちを切り替え、新たな気持ちで前進できれば最高です。
でも、そういう気持ちになれず、依然として相手に悪い感情を持ち続ける自分自身を、いったん認めること。復讐心にとらわれ続ける自分を否定しないで、それはそれとして認める。認めるけれど、そういう自分をいったん自分自身から切り離してみる。
これが「手放す」ということの意味です。
相手に対する悪い感情は、もちろん自分の一部です。ですが、イメージとしてその感情をあたかも他人のものであるかのように自分自身から切り離してみる。それが「手放す」ということです。
そうやって、まずは、一歩前に踏み出してみてください。必ず何かが変わるはずです。
ご覧いただきありがとうございました。