レース専用車が市販された前代未聞の事件
1970年、日産から発売された伝説のレーシングマシン「フェアレディZ432R」。
実はこのクルマ、レース専用車として開発されたにもかかわらず、売れ残った在庫が一般市販されたという、自動車史でも極めて珍しい運命を辿ったモデルなのです。
今回は、なぜレース専用車が公道を走ることになったのか、その数奇な経緯を詳しく解説していきます。
フェアレディZ432Rとはどんなクルマだったのか
Z432Rは、1970年に約50台のみ生産された純粋なレーシングマシンです。
通常のフェアレディZとは全く異なる、競技専用設計が施されていました。
販売対象も極めて限定的で、購入できるのは国内A級ライセンス保持者のみという厳格な条件付きでした。
Z432Rの基本スペック早見表
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 発売年 | 1970年 |
| 生産台数 | 約50台 |
| 販売対象 | 国内A級ライセンス保持者のみ |
| ナンバー取得 | 不可 |
| 車検取得 | 不可 |
| 公道走行 | 不可能 |
徹底的な軽量化が施された専用装備
Z432Rの真骨頂は、レースで勝つためだけに突き詰められた軽量化にあります。
ボディパネルは通常モデルよりも0.2mm薄い専用パネルを採用。
ボンネットはFRP製の軽量タイプ、窓ガラスに至ってはアクリル製ウインドウという徹底ぶりでした。
さらに快適装備は容赦なくカットされています。
Z432Rの装備削減リスト
| 装備品 | 搭載状況 |
|---|---|
| ラジオ | なし |
| 時計 | なし |
| ヒーター | なし |
| ボディパネル | 0.2mm薄い専用品 |
| ボンネット | FRP製軽量タイプ |
| ウインドウ | アクリル製 |
これだけ徹底すれば売れて当然——と思いきや、実はZ432Rは売れ残ってしまったのです。
なぜZ432Rは売れ残ったのか
理由は1971年に登場した「フェアレディ240ZG」の存在でした。
240ZGは最高速度210km/hを誇り、Z432Rとほぼ同等の速さを実現していました。
しかも240ZGには、Z432Rにはない数々のメリットがあったのです。
Z432R vs 240ZG 比較表
| 比較項目 | Z432R | 240ZG |
|---|---|---|
| 最高速度 | 高速 | 210km/h |
| 価格 | 高価 | 安い |
| 扱いやすさ | レース仕様で困難 | 扱いやすい |
| エンジン | S20型 | 堅牢なL型 |
| 公道走行 | 不可 | 可能 |
結果として、レーサーたちは240ZGを選択するようになりました。
性能が同等で、安くて、扱いやすく、しかも堅牢なL型エンジンを搭載しているのですから、当然の選択といえます。
こうしてZ432Rは在庫として残ってしまったのです。
日産が下した異例の決断
売れ残ったZ432Rを前に、日産は重大な判断を下します。
「レース用途では売り切れない」——この現実を受け入れ、日産は思い切った方針転換に踏み切りました。
売れ残った10台に対して最低限の改造を施し、車検とナンバーの取得を可能にしたのです。
つまり、レース専用車を公道走行可能なクルマに改造して販売するという前代未聞の決断でした。
1972年の一般販売への転換
| 項目 | 変更前 | 変更後 |
|---|---|---|
| 販売年 | 1970年 | 1972年 |
| 販売対象 | A級ライセンス保持者 | 一般ユーザー |
| ナンバー | 取得不可 | 取得可能 |
| 車検 | 不可 | 可能 |
| 公道走行 | 不可 | 可能 |
1972年、ついにZ432Rの一般受付販売がスタート。
そして同年中に、残っていた在庫はすべて完売しました。
レース専用車が公道を走った瞬間
本来であればサーキットでしか走れないはずのレーシングマシンが、ナンバープレートを付けて一般道を疾走する——。
これは自動車史上でも非常に珍しい光景でした。
フェアレディZ432Rは、こうして数奇な運命を辿りながらも、最終的にはすべて愛好家の手に渡ったのです。
まとめ:Z432Rの数奇な運命
最後に、Z432Rが辿った歴史を時系列でまとめてみましょう。
Z432R 運命の年表
| 年代 | 出来事 |
|---|---|
| 1970年 | レース専用車として約50台生産 |
| 1970年〜 | A級ライセンス保持者向け限定販売 |
| 1971年 | 240ZG登場により販売不振に |
| 1972年 | 10台を公道仕様に改造して一般販売 |
| 1972年中 | 全在庫完売 |
レースで勝つために生まれたフェアレディZ432R。
しかし皮肉にも、ライバル車240ZGの登場によって本来の役目を果たせず、最終的には一般ユーザーの手で公道を走るという思いもよらぬ結末を迎えました。
それでも、わずか約50台しか生産されなかったこの稀少車は、現在でも日産の歴史に残る名車として、多くのファンに愛され続けています。
レース専用車が公道を走るという、まさに自動車史に残る数奇な運命を辿った1台だったのです。


