走行中に3回もエンジンが止まった――。
それでも手放さず、信頼する人へと託した1985年式 三菱スタリオン GSR-Ⅲ。
阪神・淡路大震災を乗り越え、令和の今もなお走り続けるこの1台には、有名女優が本気で愛した物語がありました。
この記事では、宝塚歌劇団出身の女優・剣 幸(つるぎ みゆき)さんが愛したスタリオンの数奇な運命を、ご紹介します。
最初のオーナーは元宝塚トップスター・剣 幸さん
このスタリオンの最初のオーナーは、宝塚歌劇団出身の女優・剣 幸さん。
宝塚在団中にこのクルマを購入し、およそ10年間、兵庫県・宝塚市で愛用していました。
ところが、その走行距離は驚くほど少ないのです。
10年でなんと3万km未満。
理由は単純で、自宅から劇団までの距離が片道わずか3kmしかなかったから。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 車種 | 三菱スタリオン GSR-Ⅲ |
| 年式 | 1985年式 |
| 初代オーナー | 剣 幸さん(元宝塚歌劇団) |
| 使用地域 | 兵庫県・宝塚市 |
| 所有期間 | 約10年間 |
| 走行距離 | 10年で3万km未満 |
| 通勤距離 | 片道約3km(自宅〜劇団) |
阪神・淡路大震災でも手放さなかった1台
剣 幸さんとスタリオンの絆を語るうえで、外せないのが阪神・淡路大震災です。
震災でマンションは半壊。
しばらくは駐車場からクルマを出せない時期もありました。
それでも剣 幸さんは、このスタリオンを手放すことなく持ち続けたのです。
普通であれば、買い替えや廃車を検討してもおかしくない状況。
しかし彼女にとって、このクルマは単なる移動手段ではなかったのでしょう。
退団後の東京でも一緒だった愛車
宝塚を退団し、東京で女優活動を始めてからも、剣 幸さんはスタリオンを東京へ持ってきました。
そして、自ら運転していたといいます。
宝塚のトップスターが、自分でハンドルを握り、80年代の国産スポーツカーを乗り回す――。
その光景を想像するだけで、彼女のクルマへの愛情が伝わってきます。
走行中に3回エンジン停止|託すという決断
しかし、長年連れ添ったスタリオンにも、ついに別れの時が訪れます。
フットブレーキで減速中、突然エンジンが停止。
そして、再始動不能。
これが3度続いたといいます。
「少し怖くなった」――剣 幸さんは、そう振り返ります。
| 状況 | 詳細 |
|---|---|
| トラブル発生時 | フットブレーキでの減速中 |
| 症状 | 突然のエンジン停止 |
| 再始動 | 不能 |
| 発生回数 | 3回 |
| 本人の心情 | 「少し怖くなった」 |
それでも彼女が選んだのは、廃車ではなく“託す”という選択でした。
譲り受けたのは、当時のマネージャー。
2002年、2オーナー目として、このスタリオンは引き継がれたのです。
80年代の三菱が未来を詰め込んだ1台|GSR-Ⅲの魅力
そもそも、スタリオン GSR-Ⅲとはどんなクルマなのか。
スペックを見ると、当時の三菱がいかに未来志向だったかが分かります。
| スペック・装備 | 内容 |
|---|---|
| エンジン | 2.6L 直列4気筒ターボ |
| 燃料供給 | 電子制御燃料噴射 |
| ヘッドライト | リトラクタブル式 |
| スピードメーター | デジタル表示 |
| タコメーター | バーグラフ式 |
2.6L 直4ターボに電子制御燃料噴射、そしてリトラクタブルヘッドライト。
メーター類もデジタルスピードメーターとバーグラフ式タコメーターという、当時としては最先端の装備でした。
まさに80年代の三菱が、未来を詰め込んだ1台だったのです。
まとめ|女優が惚れ、マネージャーが守り、今も走り続ける
剣 幸さんが愛し、震災を乗り越え、エンジン停止を3度経験してもなお現存する1985年式 三菱スタリオン GSR-Ⅲ。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 1985年〜 | 剣 幸さんが新車購入、宝塚で使用 |
| 1995年 | 阪神・淡路大震災を経験、マンション半壊も手放さず |
| 退団後 | 東京へ持ち込み自ら運転 |
| エンジン3回停止 | 廃車ではなく「託す」選択 |
| 2002年 | マネージャーへ譲渡、2オーナー目に |
| 現在 | 今も走り続けている |
女優が惚れ、マネージャーが守り、今も走り続ける。
クルマと人との関係性は、こうして語り継がれていくのですね。
旧車の魅力は、性能やデザインだけではありません。
そこに刻まれた人の物語こそが、何よりの価値なのかもしれません。


